Vol.307
年の始めに・・・その2

2008.02.18
 さて、トレーニング科学という分野は、その1でも述べましたとおり、「有用性」が重視される学問体系ではありますが、こと「身体知」を高めさせるという面では「有用性」に拘りすぎると、結果的に「根性」と「努力」が必要・・・みたいな論にぶち当たってしまいますよね。そうなると、スポーツの持つ「競技や動きそのものの楽しさを、体験を通じて知る」という面の楽しみが、味わいにくくなります。
 巷に言う、「それって効くの?」みたいなやり取りはまさにそれで、「効くからやる」「効かないからやらない」「効果があるならやる」「ないならやらない」という二者択一があまりにも広がりすぎると、スポーツの持つダイナミックさが崩れていくような気がします。
 近年、水泳にも様々な入門書や雑誌が出てまいりましたが「この泳ぎ(動き)が効果的」とかいうネームに「騙された!」とか「踊らされた!」という感情をお持ちの方も多いのではないかと思います。その点、老舗のスイマガ(スイミングマガジン)やスイミングライフでは、ある練習方法や動きを紹介し、コーチの言葉として「こうやったら上手くいった」という話こそ紹介はされますが、決して「絶対これしかない!」という表現はされていないですよね。やはり、そこにこそスポーツトレーニングの本質というか、スポーツ科学やトレーニング科学が持つべき姿勢があるように思えるのです。
 
 では、その姿勢をきちんと持つためにどうしたらいいかというと、一つだけ方法があります。
 この飲み会(?)の出演者も口々に言われていましたが、やはりどんな理論でも、受ける人たちがある程度の知恵と知識を持ち、ある理論を提示されたときに、一瞬でも批判の目を持てるかどうか?ということが必要であると。それにより、反対の立場から見ることで、その理論の揺るがない正当性も見えるし、問題点も見えてきます。それらは、たとえそのときには有用性がないものでも、「有用性を得るための道」が、おぼろげながら見えてくることもあるでしょう。

 例えば、水泳競技は元来、海を仕切って「プール」という場をつくることで競技の形を作り始め、泳ぎ方も顔上げ平泳ぎ中心であった頃から、今のように「近代4泳法」に分化されてきました。その過程では、例えば平泳ぎを速くするために、人間は「潜水泳法」を考えつきましたし、「バタフライ」という動きを発想し、ついには単独種目として独立させました。「潜水泳法」は結局禁止されましたが、「ひとかきーひと蹴り」というルールを作らせるに至りましたし、時が流れて「フィンスイミング」として、いくつかの種目で潜水専門のレースなども行われるようになったわけで、これらは「平泳ぎ」という動きやその時代のルールを、批判的な目も含めて、様々な角度から「見てー実践してー悩んで」という過程を繰り返した上で出てきた、身体知と科学知の産物であると思います。
 つまるところ教養というのは、それらを学習することで「ものの見方」や「頭の使い方」を学習していくものではなかろうか?と、おぼろげながら考えます。その手段の一つとして、物事を「批判的な目で見てみる」ということも挙げられるのでしょう。私もよく、このようなコラムを書いたりしていると、自らの説明不足がたたって「水泳が好きなのに、なぜ批判するのか?」という誤解も得ますが、そういう見方もしてみなければ、そこにあるものの本質にたどり着けないからであって、何も批判して蹴り倒そうとか、そういったことを考えているのではありません。本当にどうでもいいことであれば、「よしよし、いいねいいねぇ、じゃぁ頑張ってや」で済むわけですから(笑)。

 ま、そんなことでこのコラムは、今年もややへそ曲がり気味に綴ってまいりますが、あくまでスポーツの本質を追いかけていくことを視界に入れながら、よもやま話なんぞを含みつつ、あちらの私に負けないように更新していきたいと思います。オリンピックイヤーですしね。月イチにならないよう頑張ります(既になっていますが・・・笑)。■
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